適度な運動?
- 金町院
- 2018.09.03
健康でいるためには運動する習慣を取り入れなくてはいけないということは、わざわざ考えなくてもご存知だと思いますが、健康でいるためにはどれくらいの運動しなければいけないのかということに関してはご存知でしょうか。おそらく、ここまで少し突っ込んだ質問をすると頭を抱えてしまう方も多くなるはずです。
運動が健康に良いということは知っていても、どれぐらい運動を行わなければいけないのかということはたくさんの方が知識として身につけていないからです。
どれくらい運動を行いは健康になれるのかということを勉強できる機会も少ないので、知らないのが当たり前であり当然の話なのです。
しかし、運動を通して健康でいるためには、それぐらいの知識は身につけておかなければいけません。
なぜなら、健康を維持するためにどれくらいの運動をしなければいけないのか把握しておかなければ、健康維持に必要な適切な運動を行うことができない可能性が高くなってしまうからです。
言い換えれば、自分の裁量で運動量を判断しがちになってしまいますので、間違った運動を行ってしまったり、そもそも予防レベルの運動を行えていない可能性があるということです。
それではせっかく運動を行っているのに効果が半減してしまう結果になってしまいます。
それはとてももったいない事です。
なので、どれくらいの運動を行えば健康でいられるのか、という所まで知識として蓄える必要性があるという事です。
よく健康を気にしている人がどれぐらいの運動をしなければいけないのかと考えた時に、解答されている例として見かけるのが「適度な運動」というキーワードです。
一見するといかにもらしい解答かもしれませんが「適度」という言葉はいかようにでも捉えられる言葉です。
なぜならば、適度という言葉は人によって受け取り方が大きく変わる可能性があるからです。
例えば極端な話をすると、昔からスポーツをたくさん行ってきた人間からしてみれば、適度という言葉を捉えてみると、一般的な感覚よりも長時間の運動を考える場合があります。
しかし、その反対に昔からあまりスポーツを行ってこなかった人間からしてみれば、適度という言葉を捉えると、一般的な感覚よりも短時間の運動を考える可能性があるからです。
なので個人の価値観、イメージによって大きく変化してしまう言葉なのです。
なので、結果的に適度という言葉は人によって受け取り方が変わる曖昧な表現方法でしかないのです。
それを踏まえてみると、適度な運動と言われても具体的にどれぐらいの運動をしなければいけないのか把握しづらく、理解しにくいので、どれくらいの運動をしなければいけないのかという事がなかなか知識として身についていないのです。
そもそも、適度という言葉は「程度が程よいこと」という意味を持っています。
なのでこの解釈で考えてみるのであれば「(自分にとって)程度が程よいくらいの運動量」という事になります。
そうすると、運動を行ってヘトヘトに疲れてしまうようなレベルではなく、自分にとって適度な疲れが残るくらいの爽快な運動をイメージするということが考えられます。
そう考えてみると、人によって運動量が変わるという前提で考えられるため、意味として理解しやすくなるはずです。
なので、適度な運動とはいい加減な運動量を示しているのではなく、個人によって変化する運動量という解釈をしてください。